2015年8月9日日曜日

え:永劫

8月に入ると
毎年心が引き締まる。

特に今年は70年。

いつもより少し重い夏。

戦争に纏わる特集も多いし
これから先への指針に対する議論も熱い。

ボクが生まれたのは
戦争が終わって22年目。

まだ22年・・・それとも もう22年・・・
そして その後 もう48年かー

時の流れの速さと遅さ
毎々度々不思議な感覚を抱く。

思い起こせば子供の頃は
後遺症に苦しむ近所に住むお年寄り
その日その頃の惨状や苦労話を 
遠い目でつぶさに語る親戚知人
被爆した建物 樹木
忘れられた感じのバラック小屋や区画一角
ほんとに普通に近くに・・・
沢山存在しとったもんな。


最近・・・
色んな回路が緩んできたのか
文字で 言葉で ラジオで テレビで
感情が揺さぶられて 情けないけど
すぐ泣く・・・ んー 泣いてしまう。














私事 改まって
父母伯母の話を聞いてみても・・・
その時を生きた人
そして特に・・・
残されて生きてきた人には
その日その時から綿々と積み重ねられた日常の中に
各人それぞれ壮絶なドラマがある・・・


表現が稚拙で申し訳ないが・・・

ひとつでもすごいのに
ひとつひとつを持ち寄ると
ものすごい・・・それはそれは ものすごい。


広島で暮らす少なからずの若者が
原爆投下の日時を知らない・・・
と今日日のニュースで聞く。


さて
自分には何が出来るんじゃろうか?

被爆二世で生まれてきた
意義と意味を素直に考えよう・・・
そして自分の意見を持ちたい・・・
と思う。

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