2011年8月27日土曜日

へ:弁当

夏休みはそろそろ しゅーりょー。

中学生の息子と娘の為に
家内が朝早起きをして
弁当をコサエる日々の再開近し。

しかし最近の弁当はカラフルですなぁ。
特に女の子弁当は…
弁当箱も凝っとるねぇ。



ボクも中高6年間母にほぼ毎日
弁当をコサエてもらっとった。

テーマはいつも“男子弁当”
白米の真ん中に梅干し。
華やかなハランや色彩感覚は二の次で
これでもかー的に飾り気は無しで質量重視。


出し巻きとか
唐揚げとか
前日の夕食のオカズとか
イシイのおべんと君ミートボールとか
モモちゃんシューマイとか
あくまでブラウン色調が主流。

時々汁気が教科書にしみ込む事故はあれど
うまかったねぇ。
感謝感謝。
ひじょーに懐かしい。

3限目あたりで小腹がすいた時に
こっそりお世話になった
守沖君のおしゃれ弁当もうーん旨かった。
さすが料理自慢のおかあさん。
感謝感謝。


大学時代にお世話になった
ホカ弁も懐かしい。
かまどや七条新町店。

唐揚げ弁当の大盛りに明太子のトッピングと
缶ビール500☓2本が
合宿アップ日の定番じゃったね。
色々食ったけど唐揚げ弁当はそこが一番。
感謝感謝。


しかし
どんな弁当と対峙したとしても
フタに付いたごはん粒から先に食べる習慣は直らんね。

2011年8月20日土曜日

ふ:風呂

休みの日の楽しみの一つに
“爆汗”とか“発汗”とか書いてある
入浴剤を入れてじっくり入る
少々熱い湯の半身浴『ガマン風呂』


蛇腹のフタを机代わりに
水とタオルと新聞と自己啓発的なマジメ本。
ザ・シェフとか鬼平とかの漫画本も持ち込んで
汗がポタポタ落ちてくるのを楽しむんよ。
うとうと寝とることも多いけどね。

汗をシコタマかくと
なんか達成感があるんよねぇ。


達成感いうたら
やっぱりスーパー銭湯のサウナかねぇ。
家では味わえん非日常がある。

まずは白湯で体を温めてから
6分サウナで1分水風呂 ☓ 3~4セット。
ほんま汗が出るわ出るわ。
エエ感じ。

半兵衛温泉・ほの湯・さがの湯 会員カードは数々あれど
ボクは やまとの湯 が落ち着くかねぇ。
特に外の壺湯がお気に入りなんよ。

いろいろ言うても
もともと カラスの行水 体質のボクは
とうてい朝から晩まで留まる上級者のマネは出来ん。

せいぜい頑張っても…
1時間おるのが限度なんじゃけどね。

2011年8月15日月曜日

ひ:ヒーローインタビュー

盆休みに帰省したタオちゃんを囲んで
久しぶりにカメちゃんぐんちゃんと4人でカープ観戦
いっぱい入っとったねぇ。

福井君の乱調と瀬戸の夕凪の影響で
幾分かヒートアップしていた3人が
暑っぅー 暑っぅーと何べんも言いながら
少々遅れたボクを迎えてくれたんよ。

ランナーは塁上を賑わすがホームは遠く…が
いつものように繰り返されたけど…
ダメ押しの1点が取れず…で
いつものように1点差辛勝じゃったけど…
豊田君の交通整理のお陰もあって。

まー何とか勝ちましたわ。














放送席~ 放送席~
今日のヒーローインタビューは
同点タイムリーヒットの栗原選手と
ホームランと勝ち越しタイムリーの丸選手に
来ていただきましたぁ~


最近は背景がだいぶんハイカラになったけど
インタビューに応えるカープの選手は
大人しくて特徴が無いねぇ。
皆が皆
“応援ヨロシクお願いします”で終わり。

“応援してください! ヨロシクお願いします!”
が正しいと思うんじゃが…

ちょっと昔は
広島弁から標準語への通訳が必要な通訳やら
“そーですね…”の後が続かん選手やら
選手以上に緊張しとるアナウンサーやら
ラジオを聞いとるボクらもハラハラしとったもんじゃったけどね。


さーてこれからぺナントはどうじゃろーかねぇ。
一応これでも今年球場行った3試合は3勝なんよ。

2011年8月6日土曜日

は:8月6日

ヒロシマに66回目の夏が来た。

父も母も被爆者のボクは被爆2世。
当時40歳の祖父と2歳の叔母を原爆で亡くしている。

ほんの30年前までは
あちらこちらに戦後急場に拵えた木造の建物。
川岸は壊れたままの石堤防やバラック小屋が点在していた。

募金箱を抱えて街頭に立つ軍服姿の男性や
地面に膝まづいたり転がったりしながら
何かを訴えていた白装束の人々…など
戦争が身近に色濃く残っていたように思い出す。

小学校の校庭には無数の遺体が運び込まれて
ガソリンをかけて火葬していた…という
当時の話を聞き暗がりを怖がっていた幼少のボクに
祖母は “一番怖いのは人間じゃ” と言っていた。




地球上で自分の言うことを聞かせるために
優位なポジションを獲得し維持するために
核兵器がいくつもいくつも作られ
今でも人々の方に向いて構えられている。

民族や国によってそれぞれの違った“正義”が存在し
核兵器もその“正義”の一つとして崇められてきた。

しかし人類にとって核兵器は
絶対に“正義”ではない。

これから何代も何代も向き合わなければならない
今回のフクシマの人災というものすごく大きな代償で
全世界が一つの方向に向くきっかけになればと切に願う。


ボクには44回目の夏。

わ:ワニ