2011年8月6日土曜日

は:8月6日

ヒロシマに66回目の夏が来た。

父も母も被爆者のボクは被爆2世。
当時40歳の祖父と2歳の叔母を原爆で亡くしている。

ほんの30年前までは
あちらこちらに戦後急場に拵えた木造の建物。
川岸は壊れたままの石堤防やバラック小屋が点在していた。

募金箱を抱えて街頭に立つ軍服姿の男性や
地面に膝まづいたり転がったりしながら
何かを訴えていた白装束の人々…など
戦争が身近に色濃く残っていたように思い出す。

小学校の校庭には無数の遺体が運び込まれて
ガソリンをかけて火葬していた…という
当時の話を聞き暗がりを怖がっていた幼少のボクに
祖母は “一番怖いのは人間じゃ” と言っていた。




地球上で自分の言うことを聞かせるために
優位なポジションを獲得し維持するために
核兵器がいくつもいくつも作られ
今でも人々の方に向いて構えられている。

民族や国によってそれぞれの違った“正義”が存在し
核兵器もその“正義”の一つとして崇められてきた。

しかし人類にとって核兵器は
絶対に“正義”ではない。

これから何代も何代も向き合わなければならない
今回のフクシマの人災というものすごく大きな代償で
全世界が一つの方向に向くきっかけになればと切に願う。


ボクには44回目の夏。

0 件のコメント:

コメントを投稿

を:をかしけり